みきこの乳がん闘病記

これは、私が乳がんの治療中に書いた日記・メモ・メールです。日記を書くことは痛みをやわらげてはくれませんでしたが、この試練を乗り越ていくのをずいぶんと助けてくれました。もし、医学的な情報を探してらっしゃるのであれば、ごめんなさい。このページには医学に関する情報はほとんどありません。どうか他の情報サイトを試してください。そのかわり、ここではひとりのガン患者がそれぞれの治療の段階でどのように感じ、考え、希望をもっていたかを読んでいただけると思います。ガンはもはや「珍しい、特殊な病気」ではなくなりました。でも、ガンはいまだに命を脅かす怖い病気なんです。患者本人はもちろん、家族や友達などまわりの人達みんなの生活を変えてしまうのがガンなんです。それは、私達にとって本当に痛いし、怖いしそれにとっても感情的な経験です。でも、ガンと向き合っていく一番良い方法とは何か、私にはいまだによくわかりません。私が唯一言えることは、自分の気持ちを素直にまわりにつたえ、できるかぎり前向きになるしかないってことです。私の日記が他の患者や家族、友達のみなさんを元気つけれることを願いつつ。
 
はじめる前に一言。私の日記はもともと日本語でかかれています。でも、ウェブページで公開するために多少なおさないといけない部分があります。(人物名など)校訂作業自体はそれほど大変ではないのでしょうが、私にとってガンとの闘いはまだ過去になりきっていません。現在進行形なんです。つらい治療・痛い治療の思いでは今だに私を苦しめてきます。なので、日記を読み返していくには勇気がいります。掲載していくのはとっても遅いと思いますが、でも、あきらめないでがんばって少しずつでも追加していきますので、時々様子を見に来ていただけるとうれしいです。
 
最後に、この試練を乗り越えるために私と主人を支えてくださった方々にお礼を申し上げます。私の母、家族、姑、友達、ドクター達、看護婦たち、取引先の会社などなど。皆様からの貴重なヘルプがなければ、闘病生活は、私にも主人にももっと大変でつらいものになっていたと思います。
 
どうもありがとうございます。
みきこ



闘病記

胸に痛みを感じ、何かおかしいと思ったため、ドクターエディに会いにいく。
マモグラムをうける
バイオプシー(組織検査)をうける
2002年2月8日、私達の結婚記念日に乳がんがあると告知されました。左右それぞれ違うタイプのガンがあるとのことでした。
乳がんと戦うため、いろんなドクターに会いにいきました。ドクターエディ、ドクターマーゴレス、ドクターデイビッドソン、ドクターサレーなど。
ガンと告知されてすぐ、みきこの家族が日本から飛んできて、手術に備えていろいろと手伝いにきてくれました。
2002年3月6日、みきこは両胸を全部きりとる手術をうけました。
4月18日より、6セットの抗がん剤の投与がはじまりました。
8月7日から13日にかけて。5回目の抗がん剤の後、みきこは抗がん剤の薬の副作用で肺水症になり、入院することに。
その結果、抗がん剤治療は終了することに。

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